うさねこバックナンバーはこちら割とフランクな関係を要求されるブログのネットワークで、
硬い内容の文章を書くのはあまりそぐわない(いわゆるKY)かもしれませんが、
「芸術の表現上における死」について少し書きたいです。
というのも、
とある顔見知りの駆け出し漫画家が
「マンガで、理由なくアクセントとして人が死ぬ描写を描くやつは卑怯だ!」と
WEBでのたまっていたと聞いたからです。
僕はそれに強い齟齬感を感じたわけです。
物語のアクセントとして人間が死ぬことは
表現者として「逃げ」たわけでは決してなく、
たとえば北野武やジャン・リュック・ゴダール、デヴィッド・リンチの映画、
岩明均の漫画作品、
音楽で言えばナインインチネイルズやレディオヘッドの歌詞世界では
非常に「インスタントな」死が描かれています。
彼らの世界ではレミングのごとく人が軽々しく死にます。
つまり何が言いたいのかといえば、
「インスタントな死」は「卑怯!」でも何でもなく、
過去から当たり前のように使われている手法なのです。
村上春樹の「ノルウェイの森」という小説がありますが、
あの作品にはまさにそれ(つまりインスタントな死とセックス)が顕著であって、
インタビューで村上氏自身が
「意図的にインスタントな死とセックスを強調して表現し、それが成功した」と
語っておりました。
僕も1996年にペンを握って以来、
意図的にそういった表現(つまり、人の死をアクセントとして使う)を
行ってきましたし、今後もそのスタンスを封印するつもりはありません。
(しかしながら、今後実験的に、人間が一人も死なない・殺されない物語というものも、
表現の一端として描いてみようかな、とも思っています)
・・・と、こんな硬い文章かいといて、
描いた漫画が
「Tバックをなめるな、死ぬぞ」ですからね。
オイラってほんまにアホなんですね〜!!ピョメ!!!ウンコ!!
「日本死んだらいいやつコンテスト」が開かれたらたぶん俺って上位に食い込めそうだな。
てかそのコンテストですら予選落ちしたらどうすればいいんだろう。こえーな。