ちょっと重い話になりますが。
進路について悩んでいる。
いい年して、お前は中学生か、と突っ込まれそうだけど。
中学、高校、大学と、進路について悩んだことは一度もなかった。
「どの高校に行くべきか」とか「どの大学に進むべきか」とか、
みんな周囲は悩んでいたけど、僕はまったく悩んでいなかった。
そもそも学歴レールに乗るつもりはまったくなかった。
漫画家か、お笑い芸人のいずれかになろうと決めていたからだ。
漫画は小学生のころから書いていた。
小学校の卒業文集には、お笑い芸人になりたい、と書いた。
16歳のころ、高校を辞めた。
Gペンを握り、本格的に漫画を描き始めた。
その合間にコントのネタを書いて、漫才の相方を探した。
ガロ一本に絞って漫画を投稿した。
18のころに薬のオーバードーズで死にかけて
(そのことはおいおいこのブログに書く)、
病院に担ぎ込まれた。
この経験で、僕の死生観ががらりと変わった。
「どうせ一度死んだ身なのだから、やりたいことをやって死のう」
そう思った。
大学入学後、NSC(吉本の芸能学校)に入るつもりだった。
NSC⇒ベース芸人⇒東京進出という甘い夢を夢想していた。
しかし当時は対人恐怖がひどすぎて面接すら受けに行くことができず、
芸人を断念し、漫画一本に絞った。
18〜21才あたりが精神的に一番キツかった。
本当にヤバかった。
20歳のころには、精神異常がピークに達して、
漫画を描くことさえやめた。
漫画を描くことで精神の解放になればと
思っていたのだが、
深い漫画を描きたいと思う一心で自分を掘り下げていくと、
ますますドツボにはまっていくことに気づいたからだ。
ペンを折り、彼女とも別れ、
ただ部屋に閉じこもって、大学にも行かず、
頭を抱えて、とある言葉をうなっていた。
「どうやって死のう?」
そこで、ウィンドウズとインターネットに出会った。
水を得た魚のごとく、刃物を得た狂人のごとく、
ウィンドウズを得た僕はめちゃくちゃのめりこんだ。
インターネットがすべてを変えたと思う。
対人関係に難がある僕が社会に何か貢献できるとすれば、
インターネットしかなかった。
そのうちネットを介していくつかの仕事を得られるようになり、
安定したキャッシュフローが生まれ始めた。
心に余裕が生まれた。
このときには、精神的な重みはどこかに消え去っていた。
今だって精神的に「ヤバいかな?」
「あ、これウツかな?」と思うときは何度もあるけれど、
あのころに比べたら全然マシだ。
誰だって死ぬのは怖い、僕も死ぬのは怖い。
言葉にできないくらいに、めちゃくちゃ怖い。
だけどあのころ、90年代後半から2000年前半は、
死ぬことがさほど怖くなかった。
死ねばこの精神異常の灼熱地獄から解放される…、
じゃあ喜んで首を吊ろうじゃないか、という心境だった。
株式投資に、「天井と底」という概念がある。
天井で株を買えば、あとは株価が下がっていくだけ。
逆に底で買えれば、あとは株価があがっていくだけだ。
あの地獄の5年間の中でも、僕が死を選ばなかったのは、
「ここが人生の"底"だ」という感覚があったからだ。
あとは状況は上がっていくだけだ、と思っていたからだ。
あれ以上にひどい状況は考えられなかったからだ。
今だってつらいことがあれば、
あの地獄の5年間のことを思い出す。
「あのころよりはマシだ」、と自分を勇気付けてみる。
そして、地獄を経験した分、
そのあとの反動ですばらしい未来が待っているんじゃないか?
とも思っていた。
これは株式投資でいうところの、「ボラティリティ」の考え方だ。
ボラティリティというのは値段の「上げ下げ幅」のこと。
たとえば日経225に採用されているような優良銘柄は、
暴落がないぶん安全だが、大きく上がることもない。
大きな価格変動がない、そういう銘柄をボラティリティが低いと呼ぶ。
しかし新興株や仕手株、商品先物市場などには、
大きな暴落がある。しかし上がるときは、
仕込み価格の何十倍にも跳ね上がる。
大きな価格変動がある、
こういう銘柄のことをボラティリティの高い銘柄と呼ぶ。
人の人生にもボラティリティの概念はきっと存在する。
たとえばベンチャー企業の社長などは、
たいがい、地獄と天国を経験しているものだ。
高校中退、ホームレス、自殺未遂者、
高学歴・一流企業からのドロップアウトなどだ。
ある程度のリスクをとらなければ、
大きなものはつかめない。
人気絶頂時のフライデー事件、バイク事故、ベネチア受賞、
ビートたけしは非常にボラティリティの高い人間だと思う。
(そういえば「ソナチネ」のワンシーンで、
ビートたけしのセリフにこういうものがある。
「あんまり死ぬのを怖がってるとな、死にたくなっちゃうんだよ」
たけしの映画は全部大好きだ)
ライブドアの堀江貴文も、ボラティリティが高い人間だと思う。
時価総額絶頂時の逮捕…。
逆にいうと、平均的な生活をしている人間は、
特別いいことはないけれど、
特別悪いこともない。
サラリーマンをしている限りは
収入は安定しているが、
爆発的な収入の増加もない。
これはサラリーマンという職業のボラティリティが「低い」からだ。
だが日本人はみなリスクを嫌うため、
「サラリーマン」という優良銘柄に自分の人生を「投資」するのだ。
大多数にとっては、きっとそれが一番いい。
で、おこがましい話だけど、
僕の人生はもしかすると「自分の人生はボラティリティが高い」のではないかと、病院の簡易ベッドの上でそう思ったのだ。
生きていて不幸があったときは、
それは人生という相場でのちょっとした「押し目」であって、
必ずその後には「上げ」が待っている、といつも思っている。
サブプライムで死に掛けたけれど、結局日経平均は回復した。
晴れない雨はないのだ。
話がそれまくっているけれど、進路のこと。
僕はやはり、漫画家になりたい。
それくらいにしか、思いつかない。
昔、根本敬さんの漫画を読んでて、
「何にもできない最低な人間でもできるもの、
それが漫画なんだよ」
って言葉に出会った。
なんだか、その言葉をよく思い出す。
ようやく8ページの作品を書きあげた。
正直、ゴミみたいな作品だ。
僕が日々夢想していることを紙に落としただけだ。
投稿することも考えたけれど、やはり、持ち込みたい。
載る・載らないの問題じゃないからだ。
ただ、漫画を通じて人とかかわることで、何かを得たい。
ずっとくすぶって何もしないより、ずっとマシだ。
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